子どもに中性的な名前をつけたことを振り返る。

 先日、「マティアス&マキシム」という映画を観て、映画の公開日が3年前の9月だから息子の誕生日と近いな、と思っていたら、これはセクシュアリティを含むアイデンティティのテーマを内包する映画でもあったので、息子に中性的な名前をつけたときのことを思い出した。

 あの頃は、出産を控え、いろんな名前の候補を考えていたけれど、どのような意味を込めた字の名前にするか、ということのほかに、できれば、男女どちらでも違和感なく使える中性的な名前がいいなとなんとなく思っていた。この記事を読んでくれている方のなかには、もちろん中性的な名前に違和感があるという方もいらっしゃると思うけれど、ふーん、世間にはこういうことを考えて命名する親もいるのね、くらいに見ていただけたらと思う。

 私が子どもに中性的な名前をつけるというアイデアを思いついたのは、息子がまだおなかにいるとき、検診のエコーで性別をなかなか見せてくれないタイプで、妊娠8ヶ月頃まで性別がはっきりわからなかったから、男女どちらでも大丈夫な名前だったらいいかなあという安直な発想が最初だったように思う。でも、以下の理由から、すぐに私はそのアイデアを気に入った。

 これから生まれてくる子どもたちが生きる時代は、きっと、今よりもっと、性別や定型的な枠にはまらない、自分に合った生き方を追求する時代になっているんじゃないかと予想している。その時代のなかで、子どもたちには、親である私たちの世代が未だ囚われているかもしれない男らしさ、女らしさ、こうあるべきという枷から自由になって、自分らしく活躍してほしい。また、セクシュアルアイデンティティを最終的に選択する余地を子どもに残しておくことは、人によっては後々直面しうる改名などの煩わしさを避けることができる。あとは、そういうのを含むアイデンティティについての選択を子どもに委ねようと思った親としての初心を、その子の名前に触れることで思い出せるように、という自分への戒めだ。 

 現在、3歳の息子は、特に教えたわけでもないけれど、電車やはたらくクルマといった乗り物が大好きで、おじいちゃんが買ってくれた新幹線のトレーナーばかり着て、自分で選んだピンクのアンパンマン靴を履いている。そういえば、七五三の写真撮影のときも、母方の祖父母と撮るときは、男の子用の、薄い水色と青がベースの羽織袴姿や三つ揃いの洋装を選んだかと思えば、父方の祖父母と撮るときは、女の子用の、薄い水色とピンクの被布を選んでいた。男の子用の中から選ぶという枠を取っ払って、純粋にデザインや色が好きかどうかで選んでいるらしい息子の様子に、自分で選ぶ力が少しずつ育っているのかなと思うと少し嬉しい。一方で、昭和の終わりに生まれた私の頭は、令和の時代に追いついていないところがあって、完全に女の子に見えるピンクの被布を着てお花の髪飾りをつけた息子を連れて寺社にお参りするのは、正直ちょっぴり気恥ずかしかった(それが外に表れないように気をつけてはいたのだけれど…)。でも、時代の過渡期に生きる親の一人として、これからも、試行錯誤しながら、こういう子どもたちの選択を一緒に考えて、支えて守っていきたいと思う。そういう些細な努力の積み重ねが、誰にとっても生きやすい未来の裾野を広げる気がしている。

 さて、最近の息子は、もうすぐ始まる新学期の予兆を肌で感じているのか、どこか落ち着かない。本当はもう1人でできるはずのことも、「絶対、絶対、絶対に、できない!」と言い張ったりする。なぜ、「今日はこれ穿く」と自分で選んだズボンなのに、いざそれを穿く段になると、パンツ一丁のまま逃げ回るのか。なぜ、「ママに抱っこしてもらったままおしっこがしたい」と悲惨な結果が目に見えている理不尽な提案をしてくるのか。小さなズボンを手に追いかけっこしたり、どうにか実現可能な用足し方法を複数考えて提案してみたりするのに私は日々忙しい。こんなだから、普段は親の初心なんて意識の表層にも上ってこない。けれど、息子の名前のおかげで、命名したときのことを思い出すことがあって、そんなときは自分が基盤にしている子育ての土台「子どもが自分らしく幸せに生きられれば、それでいい」に戻れる気がする。

 子どもがもう少し大きくなったら、子どもにも、名前の意味を教えておいてあげようと思う。もしも、この先、自分とは違う何者かになるように親が強制してくるような気がして苦しいときには、水戸黄門の印籠みたいに、自分の名前を掲げてほしい。もしも、私たち親が初心を忘れて迷走しているように見えたら、絶対、絶対、絶対に、そうして、ね。と思っている。 

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